こんにちは。ヒッサンです。
みなさんはレシピ本などで、「適量」なんていう言葉を見つけたときどう思いますか?
「は?ちゃんと書けよ!」とか思っちゃいますか?
まあその気持ちもわからんでもないですが、もうちょっと柔軟に考えましょうよって言うのが今回の話です。
ちょっとまあ、思いつきで記事にしてしまいました。
ちなみにですが、この記事は家庭用、というか普通にお家で友人や家族のためなんかに料理をする人に向けてます。
本職の方のように、対価としてお金をもらって料理をする方には当てはまらないんじゃないでしょうか。「お店の味」ってものがあるでしょうし、「食べる人」も目的がちょっと違ってきますからね。
てなわけで、早速つらつらと僕の意見を述べていこうかと思います。
久しぶりのレシピではない記事なんで、いろいろ脱線するかもしれませんがご容赦を笑
そもそもなんで「適量」が出てくるのか
この「適量」っていう表記ね…。
レシピを作る側にとっては大変便利な言葉であり、作る側にとっては非常にわずらわしい言葉ですよねー。
料理にある程度慣れている人ならば、「大体こんくらいかなー」と見当をつけられるかと思いますが、あまり料理をしない人だとそうはいきません。
僕でも、このヒサログでときどき使うことがありますが、さてなんでこの言葉が出てきてしまうんでしょうね?
まあおそらくざっくりというと「お好きにどーぞ」ってことなんでしょう。
例えば、料理の最後にかけるごまや薬味のネギ。
たっくさんドバっとかけたい人もいれば、無い方がいい人もいますよね?
結局、「お好きにどーぞ」なわけですよ。好みの問題。
こういった部分までレシピがいちいちどれくらいが良い!とは定められないので、「お好きにどーぞ」もとい「適量」っていう表記でごまかすわけです。
こうして「適量」なる書き方が産まれるわけですね。
ここまで読んでも「だから?」としか思われないでしょうが、大切なのはここからですよー。
さあさあ読み進めてください!
適量の何が悪いのか?
さて適量がどうして出てくるかは置いておいて。
この適量って言う書き方は良くないことなんでしょうか?
もちろんネットで「適量は絶対ダメ!」とか、「適量マジ最悪」なんて騒がれているわけじゃないですし、「適量=悪」な構図ができているわけでは、さすがにないと思いますが笑
でも、やっぱり適量と書かれると迷うし、適量ってどんだけだよ!って言いたくなる気持ちもあると思います。できればちゃんと書いて欲しいなーと。
そう思う気持ちもよくわかるんですが、それでもね。
料理の重要なことってこの「適量」に詰まっているはずなんです。
なんでかって?それでは説明していきましょう。
「おいしい」ってどういうことか
いきなり適量を考える前に、そもそもの料理の目指すところ「おいしい」っていうことについて考えてみましょう。
みなさんレシピを考えるうえで大切なことって何でしょうか?
見た目が良いように、味が良いように、香りが良いように…。
こういったことを考えますが、結局はひとつに集約されます。
そう「おいしい」レシピになるように。
誰もが料理を作るときには、「おいしい料理を作ろう!」と思いますよね。
さすがに「今日はとびきりまずい料理を作ってやろう!」なんて考える人はあんまりいないはず笑
だから、それに合わせてレシピを作る側はおいしくなるように、材料の量や手順を考えるわけですが、ここでひとつすれ違いが発生しています。
レシピを作る側の「おいしい」は食べる側の「おいしい」とはまったく別ものなんです!
「おいしさ」なんてものはとっても主観的なもの。誰にでもすべからくおいしいものなんてありません。
あなたにとって最高においしいものでも、他の誰かにとってはまったくおいしくないかもしれません。料理ってそういうもの。
これに関するちょっとした小話を紹介しましょう。
「おいしい」トマト
経緯は関係ないので置いておきますが、けっこうな人数で「まるばつクイズ」をする機会がありました。
そこでこんな問題が出されました。
「水に沈むトマトがおいしいトマトである。マルかバツか。」
みなさんどっちだと思います?
ちなみに、一応の正解はマル!
トマトは水に沈むものの方が糖度が高くておいしいんだそうです。
でも、ここで「この問題は良くない!」という声が上がりました。
僕も最初は何が良くないのかわからなかったんですが、みなさんはどこがまずいのか分かりますか?
ここまでの流れを読んでくれていればわかりますかね。
ポイントは「おいしいトマト」というところ。
赤々とよく熟れていて、糖度が高くて、みずみずしくて、果肉がギュッとつまっていているようなトマトがあったら、それはきっとトマトが好きな人にとってはたまらなくおいしいんでしょう。
でも、トマトそのものが苦手な人からしたら、どんなトマトであってもまずいんです。
水に沈もうが沈まなかろうが関係なく「おいしくない」。
だから、上のまるばつクイズではこうするべきでした。
「水に沈むトマトがより甘いトマトである。マルかバツか。」
こうすれば、「甘さ」というのは客観的に計ることができますから問題なしです。
この「おいしいトマト」の話のように、「おいしい」っていうのが主観的なものだということが分かってもらえましたか?
適量は「あなたのおいしいと思う量」
それでは、適量の話に戻しましょう。
上で説明したように「おいしい」っていうのはあいまいなもの。
しょうゆを大さじ1入れるレシピがあったとして、レシピを作った側からしたらそれがちょうど良いと思うかもしれません。
でも、人によってはもっと多いほうがいいと思うかもしれないし、少ないほうがいいという人もいるかもしれません。
どんな材料だって調味料だって同じです。全部人によって好みはバラバラ。
だから、あなたがおいしいと思う量を目指せばいいんです。
レシピ通りに作ってみて、濃ければ今度からは薄くすればいいし、適量と書いてあったら、好きなだけ入れてみておいしくなければ調節すればいい。
そして、あなただけでなく「あなたの料理を食べてもらいたい人」に焦点を当ててみましょう。
大切なことはその人がどんな料理をおいしいと思うのか。
その人は濃い味が好きなのか、うす味が好きなのか。こってりが好きなのか、あっさりが好きなのか。辛いのか甘いのか。
そうやって相手のことが考えて適した量で作ることが料理の大切なことなんじゃないでしょうか?
レシピに書いてあることばかりに縛られて、レシピ通りに完璧に作れるようになったって、あなたやあなたの料理を食べてほしい人が「おいしくない」といえば、それは間違いなくおいしくない料理ですよ?
「適量」はめちゃくちゃに入れろってことじゃありません。
「どれくらいならおいしいと思ってもらえるかな?」と食べてくれる人のことよく考えて、よく想うこと。これこそ料理に大切なことなんじゃないでしょうか?
どうです?「適量」も案外、悪いもんじゃあないでしょう?
極論、レシピは全部「適量」で「適当」
まあ、ここまでくると本当に極論ですが笑
でも間違ってないと思っています。
さきほども言いましたが、レシピ通りに作れたって食べる人がおいしいと思わなければ意味がない。
例えば、味が濃すぎても、食べる人にとっておいしのならそれがちょうど良い「適量」です。
例えば、加熱時間が指定されていても、焼きすぎてちょっと焦げるくらいが好きならそうするのがその人にとってのおいしいやり方。「適当」な手順なんです。
材料も入れる量も、作り方もまったく自由にしていい!
レシピは全部ぜーんぶ「適量」で「適当」です。
こうしなきゃいけない!なんてこともなし。
色々とやってみて、自分のおいしい作り方を見つけていけるのも料理の1つの楽しみだと思いますよ!
ただし、まったく料理をしたことがない人に「お好きにどーぞ!」といってもどうしたらいいかわからないと思います。
だから、その最初のちょっとしたアドバイスや、またはアイデアの提供としてレシピなるものがあるんじゃないかと僕は思ってます。
まずは、その通り作ってみればいい。「適量」と書いてあったら気が済むまで入れてみればいい。
そして気に入らなければ、いろいろと試してみる。調味料の量を変えてもいいし、手順を変えてもいい。
そうしてあなたなりの「適量」と「適当」を探していけば、おのずとおいしい料理が作れるようになるはずですよ!
料理は「おいしい」のために
「おいしい」料理って何でしょうか?
一流レストランで出される料理?ものすごく高級な食材を使った料理?バカみたいに値段の高い料理?
どれもきっとたくさんも人がおいしいと思う料理なんでしょうが、僕にとって、あなたにとっても同じようにおいしいとは限りません。
好みなんて人それぞれ。
世界中にはおよそ70億人もの人間がいるんですから、色んな感性があります。
例えば、チャーハンなら、みんなパラパラを目指すけれど、それが誰にとってもおいしい料理である保証はどこにもありません。
油でべちゃべちゃなチャーハンが好きな人もいるかもしれない。
大切なことは、一般的にどうこうじゃなくて、あなたが料理を食べてほしい人がどう思うか。
その人がおいしいと思ってくれるようによく考えて、その人のことをよく知って、適した量で作ること。
例え、不格好で見た目がひどくて、砂糖と塩を間違えて入れていたとしても、相手がおいしいと思ってくれるのなら、その料理は誰が何と言おうとも「おいしい料理」です!
相手が、「あなたが作ってくれる料理が世界一おいしい」と思ってくれるのなら、それは間違いなく世界一の料理です。
一流レストランにだって負けません!
きっと料理が得意な人はココをよく理解しているんだと思います。
ちゃんとどうしたら喜んでもらえるのか考えているからこそ、「おいしい」料理を作ることができる。
逆に料理をあんまりおいしいと思ってもらえない人は、レシピ通りに作ることに固執しすぎていたり、はたまた自分だけの考えであれこれアレンジしていたりするんじゃないでしょうか?
相手を見る、知る、考える、想う。もちろん相手じゃなくても自分でも良いです。
とにかく「おいしい」を考えること!
こういう意味でも料理ってけっこう頭を使うはずなんです。
最後に
さてさて、バーっ書いてきてなんだか「適量」の話というより「おいしさ」の話になった気がしますが、まあいいじゃないか笑
やっぱり上手に文章をまとめるのって難しいです…、本当に。
まあまあそんなことは良いでしょう。
本文の話に戻すと、僕自身、料理が上手だとはとても思いません。
技術は未熟だし、知識も全然ない。
けれども、「おいしく」料理を作る自信はあります!
なぜか?それは食べてもらいたい人のことを良く知ってるから。
その人がどんなものが好きで、何が嫌いか。どういうときにどういうものを食べたいと思うのか。などなど。
はっきり言って、万人においしいと言わせる料理なんて無理です!
無理なことを証明するのも無理ですが、きっと不可能に近いはず。
でも、そんなこと考える必要なんてまったくありません。
あなたにとって、相手にとって、「適量」であり「適当」であればいい。
これだけで、料理はほかのどんなものよりもおいしくなるはずです!
どうか「適量」を邪険にしないでください。
それを考えることこそ一番の近道なはずです。
つまり、「適量」を許容できなきゃ「おいしい」からは遠ざかるんじゃないの?
というわけで、今回はこの辺で!
また次回です。
はぁ~長かった…笑